花の里日記 2016.9.2 299 金曜日 (晴) 9月になれば ウィリー ネルソンのセプテンバー ソング(9月になれば) 今朝は気温がもう25度になっている。 窓の外を見るとジンジャー(コロナリウム)の白い花が満開で綺麗だ。 夜に開き昼にはしぼむが朝はまだ鑑賞出来る。 香りは素敵だし熱い紅茶に浮かべて香りをききながらお茶をすするのも今の季節ならの楽しみ。 まだオシロイバナも赤と黄色の花を元気に咲かせており夏の名残か? それと雑草の露草の水色の花が中に混じって爽やか。 宿根草や球根の植物というものは、ほっておいても毎年花を咲かせてくれる。 私みたいに花の手入れに、ぐうたらな者にはありがたいと思う。 雑草も可愛いので、つい抜かず置いておき何やらわからない花壇になってしまう。 今朝はもう百舌鳥(モズ)のキーキーという鳴き声がしていた。 あれほどやかましかったセミたちは死に絶えて、また空を我が物顔に飛び回っていた燕たちも台風が来た時の北風に乗り南に飛んで行った。 そういえばもう9月で丁度いま越中おわら八尾の風の盆が行なわれている時だ。 この時期は二百十日で台風の襲来が多いときだ。 風の盆は今まで2回行ったが、なかなか風情があって夜の照明が照らす昭和の街並みも踊りが加わって素敵であった。 夕暮れの踊りが始まる前の街 暗くなり踊りが始まる つい石川さゆりの風の盆恋歌を思い出す。 それはもうナツメロとなっていて、昔の歌だがカラオケをするといつも歌ってしまう想い出の曲である。 昨日は午後からなんとか山の別荘地の草刈りに行って来た。 下の花の里ではもう赤紫のエゾミソハギやピンクの花虎の尾、同じくピンクの宿根アスターが元気に咲いていた。 秋明菊もぼちぼちと咲き始め、門周りのシュウカイドウもなんとか夏の日照りを乗り越えてピンクの花を咲かせ始めた。 管理棟の周りに植えた山法師はカミキリ虫の食害にも負けず元気に育ち今年は沢山の赤い実をつけた。 大きいものは径が2pにもなって食べ甲斐もある。 なにやら今までは吉和にいなかったヒヨドリがここの周りを飛び回っている。 温暖化が影響したのか高地にも進出して来ている。 彼らは木の果実が好きと来ているのでこの山法師の実を食べているが、なにせ実の出来が良いのでなんとか人の口に入るのではある。 昼から早めに山の別荘地に行き道の草刈りをしていた。 近くの草原は初秋の風情がありススキや葛の花が満開で山萩も一斉に咲きだした。 道の周りには釣舟草、山ホトトギス、水引、金水引、深山ママコナ、田舎菊、秋丁子、菊葉山火口等が咲いていて夏と初秋が一度に来た感じだ。 少し前の乾燥して全ての植物が枯れそうになっていた時とは大違い。 恵みの雨の恩恵である。 野草園には白い花を散らしたように咲かせた松風草の軍団と少し増えだした青いヒゴタイの花が元気に咲いている。 イノシシが湿地を少し荒らしていたが大した事が無くて安心である。 気温は20度前後で動くのも楽で、すこし働きすぎたかなと思う位であった。 まだ野鳥も色々いて森で鳴いているそんな9月の初めであった。 つい先日までテレビはオリンピックの放送が独占していた。 見ていて嫌になり、こんな時ある昔の歌の文句が口をついて出てきた。 それは 勝った負けたと騒ぐじゃないよ あとの態度が大事だよ 若い時や2度無い どんとやれ 男なら 人のやれない事をやれ だった。 昔に水前寺清子が歌っていた曲であった。 それをユーチューブで調べてみると2曲がごったになって私の脳に記憶されていたものだった。 最初のフレーズは どうどうどっこの唄で あとは いっぽんどっこの唄。 考えてみるとどちらもメロディーは同じであった。 私の思いはオリンピックで金メダルを取る事だけがそんなに大事ではない。 スポーツを通じて体を鍛えて後輩を指導し弱いものを助ける事が出来るようにするのが一番かなと思う。 金メダルの数を争って取りたいのはロシアやら中国等の文化後進国のする事である。 日本人の良いところは何をしても控えめでそれでいて相手を思いやる事である。 強きをくじき弱きを助ける これが日本人の目標であろう。 放送も悪い事件ばかりでなく、人に知られないところで弱い人を助けたり、世の為になる事をしたり、 また障害にあっている人を良い方向に導くといった教育などをした人をもっと探し出して しっかり世に知らしめるそんな放送が欲しいものだと思った。 日記前のページへ 日記次のページへ 日記の最初の目次ページへ 花図鑑ホーム |
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