私の花図鑑    花の里日記   2005.2.16 64
                 水曜日   食べ物、仮想と現実

 もう2月の中旬となった。昨日は旧の七草である。
雪の中、中国山地にいると北国の過酷な冬が思われてならない。
そのかわり遅い春は素晴らしいものだが。

 食べ物の話だが最近はあれそれを食べたいという欲求が少ない。
体を動かしてお腹を空かせると何を食べても美味しいのだ。
私は自然の中で暮らしているので動物など生きて動いているものしか見ていない。
牛などは黒い優しい目を思い浮かべるので牛肉も最小限しか食べない。
  ドンナ ドンナ参照
鶏肉もしかり。鶏はあの赤いトサカをした顔で羽をばたつかせて、餌などついばんでいる姿がつい浮かんでくる。
雌鳥の羽根の下には可愛い黄色いヒヨコが遊んだりしている。
先ごろ生きた渡り蟹を食べることになってしまった。
顔を見ると平家の荒武者のようで恐い。
長い時間がこの蟹をこんなに育てたのだろう。
大鍋に入れて水をそそぎ、少々塩を振って陶器の重しを載せた。
ガスの火をいっぱい大きくして、急いでその場から離れて可哀想なので見ないようにしていた。
沸騰してくるとなにやら鍋の中で動いている音がする。
覗いて見たいような、また恐くて見たくないような複雑な気持ちである。
やがて時間がたちガスの火を消し重しをのけると、彼は灼熱の地獄で釜茹でされて苦しさに真っ赤になってしまっていた。
しかし食べて見ると美味しい。
食べるのが苦しいような悪いような気持ちなので蟹の冥福を祈ってから食べてしまった。
私はアサリ貝でも生きた貝を茹でるのはどうも気持ちがすぐれない。
動くものを殺して食べるのは何か気がひけるのである。
牛や鶏や豚を食肉の仕事で殺す人は大変だろうなと思う。

 それと長く生きているとつい、残りの生きられる年月を数えてしまう。
そうすると仮想の世界などに時間を費やしている事に嫌気がさしてしまう。
今私が生きていて実際に手に触れて感触を得る事、美しいものをこの眼で見る事、素晴らしいものに出会う事。この現実に経験する事になぜか重きをおいてしまう私である。



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