花の里日記 2017.12.5 337 火曜日 (晴れ) 九州の秋3(続き) 今日は晴れているが大陸からの高気圧の端で北からの寒風が吹いている。 花の里や山の別荘地も小雪が舞っているだろうなと思う。 庭で賑やかに咲いていた磯菊や島寒菊、野路菊たちはもう花びらが枯れ始めている。 こんな時はザ ラスト ローゼス オブ サマー (訳詞)の歌を思い出す。 日本ではこの歌は庭の千草となっている。 旅の続き (11月25日) 今日は別府から宇佐市に向かう国道10号線の途中にある杵築市の山鹿(ここには温泉がある)から 県道665号線を東北に向かい国東半島に入っていった。 早速に国東半島特有岩山群が見えて来てなかなか風情がある里山ではある。 走ると最初に熊野磨崖仏があり、見たくなって道を右に曲がり坂を上るとすぐに胎蔵寺がある登山口に着いた。 寺の横から渓流沿いに坂を上り、最後に急な石段があって50m程度あがると摩崖仏が掘られた岩山に出る。 そこは整地されていて前に大岩があり、その石の左右に掘り込まれた大きな像が見える。 それは900年以上経過しているとは思えないような綺麗な彫刻である。 左側には不動明王、右側は大日如来である。 どことなく2像は彫刻の作者が違うような気が私にはする。 ここまで登ってくる人は高齢者が少ない。 インドから日本に仏教が伝来した時代には寺を作る時に修行をメインとしきびしい高地を選んでいたのだ。 近代のお寺は町の中に建てられてお参りもしやすい。 しかし私の好きなお寺はやはり高地の自然に中に建てられたものが好きで、彫刻もお寺の中に丁重に祭られた 仏像では無くて、こうして厳しい環境の中で自然と一体になった仏像が好きなのである。 今も輝きを失っていない熊野摩崖仏を見てそう思っていた。 これを作った先人の知恵に感謝。 熊野摩崖仏 参道を下に見る 入口には鳥居がある 昔は神仏混交で摩崖仏の上部にはお宮がある 摩崖仏からの下り道は旧道を走ったが昔の里山の生活風情が残っておりなかなか良かった。 道を進むと次に真木大堂が見えここは参詣人も多い。 ここは何回も参詣しているのでパス。 すぐ先を左に折れて農業世界遺産の田染地区に入って見た。 ここは昔ながらの農業が維持されているようで田と民家と山と溜池や寺等が調和していて美しい。 寒さはきびしくなくて冬ものんびりしている感じで椎茸等の栽培にも良いのであろう。 田染荘とその背後の山に朝日観音と夕日観音がある 農地には夜間用の照明がついている 位置図 また道を県道に戻り進むと富貴寺があるが、ここも何回か見ていたのでまだ進み突き当りを右に折れて しばらく行くと並石ダムがありここにこっとん村と言う道の駅があった。 (グーグルの地図で見る) ここでようやくだご汁が食べられなんとか満足。 ここからのダムを北に見ると国東の山の紅葉が素晴らしい。 前の山並みを鬼城岩峰(並石耶馬とも)と言うらしい。 真ん中の山の頂上はなにか人が大きく口をあけて左手を見せているようで面白い。 口の穴には鬼が住んでいたと言われる。 鬼城岩峰 鬼城岩峰の左部分 ここは山の峰歩きがあるようだ ダムから下の里山を見る ここもやはり南向きの山際に民家が多い 鬼城岩峰 左側の岩が穴のある岩だがダムの上流の並石地区から見ると穴は見えない ここから北に行って暗い杉林の中にある仁聞菩薩の墓と五輪塔群を見た。 それから北に行き峠を下りあかねの郷の国見温泉に行った。 ここは午後の3時頃で入湯の客はおらず一人のんびりと北の千燈岳の山並みを眺めながら湯に浸かっていた。 温度は丁度良くて素晴らしかった。 ここは何度か宿泊した事もあり国東の旅には丁度良い宿である。 ここから東北に見える千燈岳は周防灘も見晴るかせて登ってみたい山ではある。 そう言えば昔に近くの不動山に車で登り広々とした国東の北部と周防灘を見た記憶がある。 そのワイドさは素晴らしかった。 それから周防灘の海岸部に出て夕食に魚料理を食べてから、豊後高田に行き昭和の町並みの夜歩き をして帰途についた。 今年はなにかと障害があり、旅に恵まれずに久しぶりに長距離旅行をさせて貰った数日であつた。 高速道路の通行料金も祝日の3割引きでなにか恵まれた感じだった。 参考ページ 国東の他のページ 日記前のページへ 日記次のページへ 日記の最初の目次ページへ 花図鑑ホーム |
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