花の里日記 2017.11.28 335 月曜日 (晴れ) 九州の秋 昨日、今日と小春日和である。 昨日は久しぶりに山の別荘地に行った。 山はさっぱりと落葉して林の中も明るい。 あたりが透けて見えてなんとなく気持ちも良い。 その中を小鳥の集団が飛んでいく。 その日は中間部の林の斜面を手入れしていた。 木の下で雪に押されてねじ曲がり伸びた雑木を切って短くしたり落ちた枯れ枝を整理していた。 標高に合わせて水平に枝を並べると地面が歩きやすくなる。 大抵の山の斜面はこうして整理されているのは人の自然的にする行動かなと思った。 芝栗の大木の余計な大枝をチェンソーで2本ばかり切って林を明るくしていた。 数日前に上部の林で枯れた芝栗の幹にムキタケが大量に生えていて採取した。 今年は春からまったくと言って良い程に食用のキノコは生えなかった。 それがこの木一本だけに大量に生えたのだった。 私は山の神さまが"この山を手入れしているお前だけには食べさしてやろう"と言っているようであった。 下の別荘の人たちと話していて食べたいと言われるので大き目のキノコを7本ばかりあげたのだ。 私は帰ってこのキノコを煮込んで味付けし食事するときのツマミとして保存した。 余分はスキヤキに入れても美味しいのだが翌日は九州に旅行しなくてはならないので冷蔵庫に保存した。 今回の九州旅行は耶馬渓や阿蘇山の紅葉を見に行こうと思ったのだ。 その日(11月24日)は中国からの高気圧が西日本に張り出して来る時であった。 なんとか中津市までたどりつき耶馬渓に向かうと、まだ緑が結構あってそんなに寒さは感じない。 山国川のほとりをたどって行くのだが水は清くてまわりの里山も美しい。 すべてがのんびりとしていて、これが日本の原風景だなと思った。 耶馬渓の下流だが山の崖はきつくて道路も張り出している 青の洞門を予感させる 山国川の下流を見ている 最初の耶馬渓(青の洞門)につくと観光バスも多く人が沢山見て回っている。 私は青の洞門の対岸から風景を眺めていたが紅葉時期も春と同じように美しい。 そこに牧水の歌碑があって読むとなかなか風情を感じさせてくれる。 長い中国山地をはるばると越えて九州に渡りこちらで読んだ詩のようである。 男は旅をするのが好きである。 私も同様であって子供の時に大阪から広島に来る時、この旅がとても心に感じた記憶がある。 "きまぐれ女とさすらい男"がなんとか共に暮らして人の人生がある気分ではある。 この歌碑と耶馬渓(青の洞門)の紅葉画像 彼が中国地方の山々を越えて故郷の宮崎に帰る時の唄 気になったのは上の左の岩がまるでその時の牧水の顔に見えた事である(右目は閉じている) 注: 安芸の国は広島県 長門は山口県 豊の国は豊前と豊後で福岡県と大分県か 耶馬渓にて 安芸の国 越えて長門に またこえて 豊の国ゆき ほととぎす聴く ただ恋し うらみ怒りは 影もなし 暮れて旅籠の 欄に倚(よる)るとき 耶馬渓から深耶馬渓に行くのに川沿いを登ってダムサイトを通り普通は行くのだが、この車のカーナビは耶馬渓を 左に折れて行けと言っている。 まあ一度もそこから行った事が無いのでそれでは新しい道を走ろうと曲がって行った。 新しい道はやはり大きな川が無いせいかあまりパッとしなかった。 新しい綺麗なトンネルを抜けてまた元の道に戻った。 旧道を走れば色々店があって食べるのも買い物するのも楽しいのになと思ったが後の祭り。 道のだご汁は食べられず仕舞いであつた。 深耶馬渓はここも車でごったがえしていた。 ここは紅葉の真っ最中で見事ではある。 駐車している車のナンバーを見てみると関東からの人も多い。 私が東北方面をゆっくり旅してみたいと思うように東日本の人たちは九州に来たいのであろう。 お互いに知らない土地を見るのは楽しいものであるのだ。 深耶馬渓 上流方面を見る 続く 参考ページ 耶馬渓全般 日記前のページへ 日記次のページへ 日記の最初の目次ページへ 花図鑑ホーム |
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