花の里日記 2016.5.20 291 金曜日 (晴れ) 呉へ 今日も晴れ。 連日の晴天で空気は乾き庭の花たちは水を欲しげである。 今日は朝から雑用が多くて午後には車のオイル交換に市内まで出た。 呉に私用が出来て広島市内から平和公園を経由し呉に向かった。 平和公園は今日も平日だけれど来訪者でごったがえしている。 外国人も多くて観光だけでなく、この広島の原爆被害を良く理解し、これから絶対に戦争だけは起こさせなくする、世界の平和を希望する人たちが 沢山増えるのが私たち広島県人の喜びではある。 オバマ大統領がこの27日に広島に来るのだが少し遅すぎではあるけど嬉しい事ではある。 向かう呉は昔から軍港の町で造船の仕事も多い。 今でも戦艦大和の記念館がここにはある。 今ではこの呉も土地が狭いし、また車時代で高速道や空港がある東広島市方面に工場や事業所が移動してしまい繁栄は衰えている。 呉の西にある江田島には昔海軍兵学校があつた。 いまでもそこには海上自衛隊の学校がある。 平和公園から車を南に走らせ国道2道線を東に向かって途中で右折して国道31号線を南に向かう。 この辺りは海田町と言い広島市の東部にあたり栄えた町である。 少し進むと右に長い塀で囲まれている海上自衛隊の海田市駐屯地がある。 また進むと道の右は広島湾で左は切り立った岩山があり平地が狭い。 海側には所々に海水浴場や砂浜があり先には島々が見えて美しい。 所々に平地がある部分があるがそこには家々が立ち並んでいて空地は少ない。 先に呉市の天応町と言う町があり左にはセーラー万年筆の工場がある。 私が子供の頃に学校から工場見学に来た事があった。 万年筆と言えば現代ではあまり見かけない。 まあセーラーと言う名前も水兵の事であるのでなにか考えさせられる。 呉方面には今まで時々出かける事があったので今日は道を変えてみようと思い、ここから左の山側を通って見ようと左折して道を上がって見た。 そこからは背後の海が綺麗に見え、また前面の左先には岩山が二つありここも美しい。 中央手前の尖った岩山は烏帽子岩 参考:烏帽子岩山登山のページ 道の先には呉への高速道路の橋げたが見える。 この道を登りトンネルを抜けると道は下り初めて先に行く呉市方面が見えて来る。 この辺りは吉浦町と言う。 ここから呉市の中心部は山の左奥にあり見えない。 呉の周辺の山の崖地には結構家が建っていて昔の繁栄が思われる。 この辺りもそうである。 右には半島が見え先は音戸の瀬戸で橋が二つ架かってその右は倉橋島である。 その右は写真に写ってないが江田島である。 音戸の瀬戸は狭い海峡で急流。 ここには古い逸話があり狭い海峡を船が通りやすくするための工事をしていて、それが遅れないように平清盛が夕陽を扇で招き返してその工事を進めたと言う。 音戸の瀬戸の上は公園になって眺めが良くて日帰り温泉まである。 吉浦町の上部から南方面を写す 地理院の地図を見る やがて車は家々が立ち並んだ市街地を下って元の国道31号線に戻り左折して本来の呉市の中心部に向かう。 この先には古くて長いトンネルがある。 私の知っている限りでは古い記憶の中にこのトンネルがあって広島から呉に向かうこの道路はよほど重要路線であったのだろう。 トンネルを抜けて左折すると呉市の中心部はすぐ先である。 要件が済んで帰る事となったがまだ陽が高くて明るいので、呉の西北部の山にある焼山と言う町をしっかり見てみようと周り道をしてみた。 来た道を戻りあの天応町から山に入り道を登った。 道は市街地を抜け山間部に入ると工場や倉庫が沢山建っている。 そこはもう製造業等が衰えていてまるで廃墟。 まあバルブ時代に町から逃げ出した工場群はいまでは空の倉庫になっている現代ではある。 そこを抜けて急坂を上がると左に深山の滝と言う看板が見えた。 初めて知った場所なのと面白そうなのでここに車を置いて渓谷を登ってみた。 この辺りは自然公園となっていて歩道は綺麗に整備されていてまた緑は深く美しい。 左に渓流を見てしばらく登るとその滝が見えて来た。 何段も滝があり清流がなだらかに岩場を下っている。 なかなか美しい。 渓流の向こうには地蔵さんも置いてある。 滝の清水を飲んだが美味しかった。 ここまで結構疲れたが上を見ると山上部が近そうに思えたので急坂をがんばり登ってみた。 しばらく歩いてみたが道はまだまだ登っていて谷は深くキリが無いので帰る事とした。 滝の下部でまた上には滝が沢山ある それから車まで帰り急坂を登りとこれ不思議。 山の頂上付近に巨大な学校みたいな構造物が現れた。 附近は山林ばかり。 そこからは道が平坦になり少し下ると突然団地群が目の前に現れた。 これが焼山地区である。 あちこち小さな丘があり新しい住宅がびっしり建っている。 あとで呉に詳しい人に聞くとここは呉市と広島市の東部の中間辺りで仕事にも生活にも便利だそうだ。 こんな山の中の団地とは不思議であるがこれが現実。 5月28日 追加 道を市街地の西の山側を、北に登ったり下ったり曲がったりして広島市方面に進むと、絵下山登山口の看板が出てきた。 以前絵下山は行った事があったけど瀬戸内海の夕景を見てみたくなり、道を西に取り家も無い山道を曲り曲り登って行った。 山上附近まで上がり、少し下ると山頂への歩道があり少し先に広い展望台があった。 夕方であったが一人だけ若いオートバイのライダーが来ていてカメラで夕景を写していた。 名古屋にいる次男になんとなく似ていたのでつい話しかけた。 彼はこの場所に詳しいようで今日は少しガスがかかっていてもう一つです。 広島湾のクルーズの船で観光に出ると綺麗ですよと話して呉れた。 私は太陽が沈む広々とした瀬戸内海の写真を色々と写してみた。 下が絵下山から写した西側にある瀬戸内海の夕景 ここの地理院の地図を見る 手前中央の大きな島を金輪島と言い右手前に造船所がある。以前ここの民家を販売した事があった。 のんびりした自然一杯の島であった。島の手前右が坂町の岬だ 金輪島の上の右側奥に太田川と言う川のデルタ地帯に発達した広島市の中心部がある。 昔は工場が沢山ありまた軍事地域であったので原爆の攻撃を受けてしまった。太陽の下の山の下が私の住む五日市だ。 ここは山の西がわで東方面は見えない。 夕景を楽しんでからまた来た道を下って広島市方面に下ると3差路があり右に行くと熊野町でここは昔から筆の生産で有名である。 ここを左に下ると俄に行き交う車の数が増えて町に戻って行った。 音戸の瀬戸等の日記へ 日記前のページへ 日記次のページへ 日記の最初の目次ページへ 花図鑑ホーム |
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