花の里日記 2015.12.9 277 水曜日 (晴れ) 道と回顧 5 大島に渡り左折して国道437号を進むと進路の左の先は安芸灘。 その先には本土の岩国市があり、次に右には宮島、呉市の南にある倉橋島などが見えてくる。 島の右側の山は割に標高が高くて海にせまり平地が少ない。 その斜面を利用して段々畑があり蜜柑等が植えられている。 今は島の東南側へ向かって走っている。 こちら側は台風等強風をこの山々に守られておりあまり風や波が来ない。 それに沢山海水浴場がある。 一度こちら側のプライベートビーチがある土地を販売していたがそこは風無しと言う地名だった。 まさに地名はついた理由がある。 私の住む地方でも荒谷とか石が原とか地名がある場所はそれなりに検討を要する。 反対に山を越えた四国側は冬は暖かくてまるで亜熱帯地方を思わせる。 しかし台風時や津浪が来ると要注意である。 眺めの良い海岸や山を見ながら走って行き、久賀の町を抜ける。 久賀の町にはスーパーが二店あり生活には便利。 周防大島の中心の町である。 昔、橋がかかっていない時分に岩国からフェリーで海を渡り、ここの港に来たものであった。 当時の目的は主に釣りであった。 今でもここの港は島への渡船が運行されていてバスや船の駅となっていてレストランや土産物も売っている。 その久賀を通過して岬を回り、この辺りで丁度昼ごろになる。 停車した場所が先ほどの風無しの海岸で、昼食を取る事にする。 ここは山側に国道のトンネルがあり、その脇道を出た海の傍なので車の音は全然しない。 沖の海は広々としていて美しい。 道の下は岩の崖で海岸の岩には沢山牡蠣が繁殖して着いている。 一度冬に取って帰り、野外で火の上に乗せて焼いた事があったがとても美味しかった事があった。 ここは椿がもう咲いていて春気分。 海岸には白い野路菊がまだ咲いていた。 ゆっくりと先程の大島観光センターで買った弁当で食事を済ませ、また道を進むと右の斜面地に2か所、民家を販売した事があった。 周りの人も穏やかな人たちでのんびりとそこを楽しみながら修理させて貰った。 ここからは東の眼下には瀬戸内海が見え、その先から朝日が登る。 修理の時に数日泊まった事があり、寒い時期だったが暖かくなかなか気持ちが良かった。 近くに日帰り温泉も2か所あり楽しめる。 おまけにスーパーも近いし、道のそばにはレストランも多くて便利だった。 良い思い出である。 周防大島は秋には柿や原野にムベの実が熟れる。 冬は蜜柑、春には道傍に草苺が赤く実るし、また晩柑類が熟れる。 海に出れば海岸で釣りが出来るし夏は海水浴。 難を言えば夏が暑い事であろう。 私は別荘関係の仕事をしているので、ここと私が販売している西中国山地の別荘二つを持てば最高かなと思っていた。 それは未だに実現できていないのではあるが・・・・ また道を進むと左の山の上に知り合いの人の小屋がありそこで蜜柑や野菜をのんびりと栽培していた。 彼は近くに一人住んでいて時々不動産の情報を出して呉れるので大変ありがたかった。 そこも周りが眺めが良くてのんびり出来る所である。 彼は昔広島で不動産関係の仕事をしていて年齢は私と同じ位だった。 その彼も数年前に突然病気で亡くなってしまった。 きさくで良い男であった。 冥福を祈る。 しばらくこの道を行くと岬を回り眺めの良い現場へと着いた。 ここで草刈りの作業となる。 ここは道の両側にその土地があり東が海で急な小路を降りると小さな砂浜である。 手前は突堤で釣りも出来る 左の町側は港である 波静かで水も綺麗 西側の土地は山の傍の蜜柑畑の横で暖かい。 先程の海の家をここに作れば私の理想が実現できるのだがなにぶんに資金が・・・ あと少し坂を下れば東和の町である。 ここには道の駅がありとても賑やかである。 また演歌の作詞で有名な星野哲郎氏の資料館が近くにあり彼はここの出身である。 ここから周防大島の先端までは、まだまだ遠い。 手入れする別荘地は3年前にすっかり綺麗にしていたのだが少し放置していたら、笹(メダケ)が繁茂しそれに蔓が巻き付き茂みとなり入れもしない。 周りから草刈り機で少しづつ刈りこんで行く。 メダケは径が2〜3cmにもなり背は3m位ある。 刈っても長すぎて整理に困るので1m程度に切る。 これを園芸用の花などの支柱にすれば良いのだが私はそこまで暇が無い。 山の別荘地でも腐葉土が余りかえしているのだが利用まで手が回らない。 これは現地に置いていくと地元の人が適当に持ち帰って呉れる。 中には空き缶等が投げ入れられていたり釣りの用具が捨てられていたりする。 清掃して帰る時分にはもう辺りは暗くなっていた。 終わり 日記前のページへ 日記次のページへ 日記の最初の目次ページへ 花図鑑ホーム |
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