私の花図鑑          花の里日記  2015.12.9   273


           水曜日  (晴れ)   道と回顧

 この数年はほとんど周防大島(山口県の東南部)に行っていない。
今日は今年の仕事も一段落したので久しぶりにそちらの販売物件の整備に行ってみようと思った。
高気圧は今近畿地方方面にあり、北風が吹かなくて割に暖かくて気持ちの良い日だ。
事務所から国道に出るまでに少し下りの場所があるが、そこから南の瀬戸内海を見ると遠くその先に四国が見えているようである。
たまに快晴の時にはここから四国の石鎚山も見えるが今日は山頂が薄雲で見当たらない。
  以前たまたま写した望遠の画像(手前の黒い山は四国だ)
国道2号のバイパスに出てから西に向かい、廿日市のインターはパスして宮島口がある大野インターから山陽道に乗った。
途中の廿日市のバイパスからは17年前に私が建てたマンションが宮島をバックに遠く見える。
そこは広島湾を全部見渡せて宮島も見える。
夢のリゾートマンション(8Fで21戸)を作ろうとしたものである。
大都市からの移住者が少しは来てくれると思ったが残念ながら一人も来なかった。
でも買ってくれた人はその夢を理解してくれていたと思う。
その夢も終わってしまった。

 ここの先の近くに宮浜温泉と言う場所があり昔ペンションの建築をしたことがあった。
その時代はすべてが成長期でお互いに夢も多かった。
現在は経営している夫婦も年齢を重ねて年金がわりにのんびりと仕事をしている。
数日前に合って話をしたら宮島の世界遺産登録でお客が増えましたかと聞くとここはそうでもないと話された。
それではバックパッカーはどうですかと聞くと宮島から少し離れているので駄目みたいとか。
日本の仕事全体に言えるのだが競争が激しすぎて物の価格が下げ止まりしていて薄利。
これからは新しい分野の仕事をしっかり増やさないといけないのだろう。

 山陽道は週半ばか、割に空いていてのんびり走った。
ここの大野あたりは山と海が接近していて風光明媚だ。
南には宮島があり西には製紙工場(和紙も)や石油コンビナートがある大竹や岩国が遠く見える。
海には沢山の牡蠣筏(かきいかだ)が浮いている。
北には標高600m程度の経小屋山(きょうごややま)があり岩もあり松も生えていて美しい。
南は先ほど話した宮浜温泉である。
山麓に一度古い別荘を販売した事があった。
ここは中年の夫婦が買って呉れて住宅にして住んでいる。
海も近く暖かいし広島市内に割と近い。
緑一杯の中、呑気に暮らしている事であろう。

 大竹を過ぎて少し深い小瀬川があり、そこから山陽道は山間部に入って行き長いトンネルとなる。
トンネルを抜けると視界は開けて錦川沿いに出る。
ここに岩国インターがあり少し下流に下ると錦帯橋である。
その南には岩国市があり海辺は岩国の米軍基地がある。
最近戦闘機がよく私の作っている吉和の別荘地上を沢山飛び回ってうるさい。
沖縄基地は無くして貰いたいけど、こちらにあまり来るのも好きではない。

 ここの岩国インターを降りると通行料は2区間560円であった。
高速料金は半額位にしてくれるともっと沢山利用するのだけど高いと足が遠のく。
嫌な時代ではある。
ここから錦川を離れて支流の御庄川沿いを南西に川をさかのぼる。
ここには新幹線の岩国駅があり家が少なくて場所がなかなかローカルである。
近くには日本酒の酒造所がある。
水が綺麗だからであろう。
ここの少し西に周東町と言う町があり山間部に同じく日本酒の酒造所がある。
私がなぜか長くホンダの車と付き合う事となった販売の所長がこの辺りの出身で、昔彼とこの工場を見た事があった。
田舎にしては前向きな酒屋だと思っていたら最近に獺祭(だっさい)で大人気。
私はあまり日本酒を飲まないので、以前にこの人に一瓶貰っていたのだが息子が持って帰って結局飲まず仕舞いである。
子供の頃に父親が日本酒をよく飲んでよっぱらっていたのを見て、潜在的に拒否感があるのかも知れない。
私の好みは九州の球磨川焼酎である。
酒好きでないのでこのようなものだ。

 ここの川沿いを走っていて単線の岩徳線が並行して川向こうにある。
一両か二両位しかない電車がたまに通る。
また駅が古い昭和の映画に出てくるようでなにか見ていて楽しい。
またこの川沿いの谷の農地と中の民家も、昔ながらのたたずまいで見ていて飽きない。
ここから南の山中には六呂師と言う村があっていったいどんな所だろうと見に行った事があった。
そこはなんでもない里山であり結局意味もわからず仕舞いであった。
大分前であるが島根県の六日市町と言う山間の町があり、そこの山口県との県境に深谷川という文字通り深い渓谷がある。
その上流に木地師の墓があった。
近くに古い民家がありそこを販売したのだが、外人さんが買って呉れて彼は侍ハウスと言っていた事を思い出す。
その深谷川の下流には三国峠みたいな県境の峠があり始めて見た時は感動したものだった。

 車は道をさかのぼり国道2号の欽明路バイパスに入る。
信号待ちしていると一匹のカラスが道路の手すりに飛んできて、狭い中間部の隅に嘴を突っ込んでなにやら摘みだし信号の上に行き食べだした。
そんな場所にまさか生な餌などあろうはずもなく、うまく隠していたのだろう。
知恵のきくヤツではある。
カラスは猪と同じ感じで出来ればもっと減って呉れれば嬉しいのだが、それでも見ていると可愛い気もする。
こういう人間心理が彼等を増やすのかも。
そこから右に曲がりバイパスを少し行くと2軒屋と言う地名の里がある。
私が最近手がけた民家の場所の地名は一軒家であった。
何か私は昔の地名には特に関心が深くてつい深入りしてしまう。
私の会社名も漢字で書くと御戸森と書き、これは昔先祖が住んでいた古い字名である。
なぜこう言う字があったかと言うと私の近くの神社の亡くなった宮司さんがある時こう話して呉れた。
昔先祖が住んでいた所の周りは海で対面する土地に神社があり、ある時大風が吹いてその神社の扉が流れてついた森が御戸森と言われたとの事。
この少し北にその八幡神社があったのだが今は残念ながら森などは無くなり造成されて宅地化してしまった。

       続く

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