花の里日記 2015.8.16 263 日曜日 (晴れ) また終戦記念日が 沖縄終戦の日、広島と長崎の原爆の日、終戦記念日と相次いで70年経過して今年の暑い夏にまた訪れた。 私は戦後生まれで日本の戦争を経験してはいないが、平和のありがたさは心に響く。 このまま今のこの世界が戦争等をしないように祈りたい。 紛争はすべて国際的な話し合いで解決しよう。 それには武力は2度と用いないようにしたいものだ。 力ずくで領土拡張したり領海を広げたりする国がいまでも存在する。 それは昔に人類の進化の過程であつた事ではあるが、文明が成熟した今はまるで不条理な事ではある。 国連がきちんと審議機関をつくり、こういった紛争を平和的に解決したいと思う。 この盆は早めに墓参りしたので、この3日ほど山の別荘地に行き、また草刈りや土地の整備をして過ごした。 このようにしている事は昔の親父と同じだとつい思う。 親父は近くの山に畑仕事で出かけて帰るといつも晩酌であった。 たまに私もついて行って山で遊んでいた。 その親父は戦争中は現役志願で海軍にいた。 昭和16,17年頃に韓国にいた時、仲間内の喧嘩で親父はその責任を全部受けて兵役免除となり帰国した。 それが幸いして仲間はほとんど海で戦死したのに九死に一生と言う事で無事に生き残って私を育てて呉れたのではある。 原爆が落ちてから私のいとこが疎開作業かなにかで広島市内で行先不明になり父は数日間、 瓦礫の中を彼を探して回ったとの事である。 それで弁当箱一個だけが見つかったそうな。 父や母は広島市から離れた近郊に住んでいたが原爆のそのあとに黒い雨が降り白い壁を汚したと言っていた。 その父は死ぬまで元気で、軍人恩給もないし原爆症の認定申請もまるでしなくてけろっとして生きていた。 思うと豪快な人ではあったと思う。 山は緑一杯で木々は成長し夏の太陽を受けて葉が茂り、木の下は涼しく27度程度。 ここは標高も800m位あるので風が吹けば涼しく気分は最高。 夏でも焚火をしてもあまり気にならない。 今年の草や木の茂り方は異常な程でびっくりする。 水不足などこの数年は聞いた事も無い。 ここの野草園での花は節黒仙翁のオレンジの花と薄紫の秋の田村草、紫の丸いヒゴタイ、白い穂のもみじ傘の集団程度。 どれも雨で背丈は伸びたが花はもう一つの感じである。 そう言えば遅いけど小葉のギボウシが紫の花を咲かせていてなかなか綺麗だが葉をなにかに食べられている。 毎年葉を食べられるので原因はヤマドリかなと思っていたが、今回ようやく犯人がわかった。 それは猪であった。 今年も今頃、道の路肩をあちこち崩して山芋等を食べているのだが、ついでに野草園の上の水路を目茶目茶に壊されている。 ここに今年の春に水芭蕉の苗を植えてい小さな白い花を咲かせてくれたが株はどうなったことやら。 彼等は水場で体に泥を塗って蚊やアブに刺されないようにするらしいが、それは暑さしのぎかも知れない。 それを今回私が修復して綺麗にしてようやくに椅子で休んでいると、目の前に小さな猪の子(瓜坊)が一匹現れて 回りをのんびり徘徊し草を食べている。 見ていて様子は可愛いのであるが、さては山荒しの原因はこの一族の仕業かと理解したのである。 体長60cm程度で少しやせている。普通は子供集団でいるのだが? ギボウシは旧の野草園でも葉が根こそぎ食べられている。 また渓流のワサビの葉も新葉が食べられてる。 なにか対策を取らないといけないなと思うのである。 3日めの仕事を済ませて山から花の里に帰る途中で林道の中に黒い1m程度の動物が車前をすばやく横切って行った。 良く見ると小熊であった。 吉和地区のこの辺りでは一月前位から熊の出没注意の看板が出ていた。 熊も猪も子供には注意で、必ず付近に親がいるのだ。 子供に危害が及ぶと彼らが気付くと命がけで子を守ろうと人に害を及ぼす。 こんな場合周りに要注意ではある。 自然が豊かなのは最高ではあるが害獣が増えるのは歓迎は出来ない。 昔は猟師がいて適当に間引きしてくれるので助かったが今はそうではない。 なんらかの自前の彼等から危害を受けないような対策が必要だと思った。 日記前のページへ 日記次のページへ 日記の最初の目次ページへ 花図鑑ホーム |
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