私の花図鑑          花の里日記  2014.1.25   208

         土曜日 (曇り)   立春近くに

 昨日は暖かい日、仕事で内海の島に行った。
時間にして15分位フェリーで海を渡るのであるがすべてがのんびりとしている。
たまにはこういう時もよさそう。
海は波も無くて、先日の自衛隊の海難事故が起きるのが不思議な位である。
人の行動は計り知れないこともある。
島は風も無くて緑一杯で寒さを避けて渡って来た野鳥が穏やかに鳴いている。
南を向いた斜面の梅の木はもう蕾を膨らませていた。
海の突堤には磯ヒヨドリの美しい姿も見られた。
水は澄んでいて海の底が良く見える。
昨日の早朝出かける時に私の事務所の近くの道路は気温が零下2度で蔭では水が凍っていた。
こうしてみるとここは海水の温度のおかげであろうか気温の変化が少なく温暖である。
そろそろ旧正月で立春も近く、川土手などでは枯れた草に混じりヒガンバナの緑の葉が目立ってきた。
柔らかい草の芽も見えて水鳥もなにやら楽しそう。
心の緊張も溶けるこの1日であった。

 今日は午後から雨とか。
雪で無いので幸い。
庭の落ち葉の掃除をしたが気持ち良く動けた。
チオノドクサやハナニラの球根類の葉も大分伸びて枯れた庭を賑やかに見せて呉れる。
水仙やチューリップの芽も目立って伸びてきた。
もう少しで山里のセリやナズナ、ハコベ等で七草粥も食べられそうである。
早春の楽しみ。

 寒い冬の食事についてだが、作りたての鍋料理はなかなか美味しい。
季節の野菜をふんだんに入れて食べると健康に良いような気がする。
無限鍋も結構楽しい。
でもこれは独り者の鍋かな。
また私の好きな食事に茶がゆがある。
昔、母が私の子供の頃には、いつもこの茶がゆを作って呉れて食べさせられていた。
子供の頃はそれをなんとも感じぜずに普通に食べていた。
それがこの頃にはなにかなつかしい感じがして、よく自分流儀で見よう見まねで朝に作って食べている。
山口県の近くの町(柳井)には郷土料理の茶がゆの店があり、時折訪れて食べに出かけている。
そこは昔の商家が沢山ある町で町並みも風情があるところで散歩にも良い。
母の故郷は和歌山の海南市で、茶がゆ元祖の大阪の堺に近く、いまでも茶がゆを普通に食べている。
茶がゆのお茶は粉の ほうじ茶 で私の住んでいる広島ではなかなか入手しにくい。
でもそれがたまに山口県で買えるので重宝している。
私の茶がゆの食べ方は母からおそわったのだが食べる時に塩を少し入れる。
それと野菜の煮物、梅干し、焼いたメザシ、漬物、金山寺味噌で食べる。
この金山寺味噌は地方色が強くそれぞれの地方地方で作り方が違う。
  (追記 金山寺は中国のお寺で日本に渡来した僧が作り方を伝授したそうだ
      日本人は沢山と中国から恩恵を受けている 一時の紛争は残念でなんとか無くしたい)

でもやっぱり金山寺味噌は和歌山のが絶品。
なぜかと言うと野菜がたっぷり入っていてこの味噌だけでも食べられるからである。
でも欠点もあり暑い夏には入手しにくかった。
今では冷蔵庫もあるのでそんなことはないと思うが、なにせ和歌山を長く離れているので今はわからない。
柳井の店の人に聞くと九州では茶がゆに醤油を入れるそうだ。
私も一度試してそうしてみようかと思ったのである。
山口の人は塩や醤油等は茶がゆになにも加えず食べるのだ。
それぞれ地方色がある。
一度年配の美容家の女性に聞いた事があるが、美容の修行時代に堺では必ず朝は茶がゆを食べさせられたそうである。
なおメザシや小魚の煮物は必需品でカルシウムを取入れるのに必需品である。
かならず添えて食べてほしい。
近海の一夜干しの干物は食べるのには絶品ではある。

 これを見ておられる貴方も一度どこかで試食してみて・・・
なお私流の茶がゆの作り方であるが、1人当たり米が1/2合(二人分で1合)を綺麗に洗って土鍋に入れる。
別に鍋1〜1.2リットル程度に前述のお茶を入れて良く煮出す。(よく計った事が無いので大体)
ここではまだ塩は入れない。
煮出たところでこのお茶を1合の米を入れた土鍋に入れてひたすら煮る。(二人分)
このさい吹きこぼれがしそうだと蓋を外して火を調整し煮る。
このさい水が少なかったら大目に煮た茶を追加で入れる。(大目に煮出したお茶があると食後にも飲めるのだ)
煮え詰まって水が少なくなる頃が食べごろである。
米の煮具合を確かめて火を切る。
熱いうちに食べよう。
だから熱い夏はどちらかと言うと不向きな食べ物。
一度夏に氷を入れて急に冷やして食べてみようかな?
茶がゆ用のお茶が入手出来ない場合は番茶でも結構なので何事もチャレンジ。
これは我流なのであしからず。

 長い茶がゆ談義になってしまった。


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