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花の里日記 2014.1.10 206 金曜日 (晴れ) 西予旅行 1 今朝は久しぶりの寒波で家々の屋根が白い雪に覆われていたが、もう朝の太陽が出て綺麗に溶けた。 この周りの山を眺めると白い雪が積もっているのが見えてなにか寒そうだ。 でも冬至が過ぎてからは太陽の光が少し強くなったきたなと思う。 いつも通る道傍の河川敷には赤茶色になって枯れた葦などの草が冬の風情を見せてくれている。 堤防に自生しているセンダンの木は葉が落ちてまる裸だが薄黄色の丸い実がなっているのが見れる。 川の流れの中には川鵜や鴨たち、サギたちが思い思いに集まって遊んだりエサ取りをしている。 見ていると可愛い。 彼等は通行している人が害を与えないのを理解しているのかゆったりとしている。 街の人(車)の群れは野鳥にとっては風景の一部になっているのだ。 かえって人気のない池などで彼等に近づくと恐れて逃げてゆく。 弱い野鳥たちは人の危害から身を守るすべを知っているからだろう。 去年の秋10月に思い立って、今まで良く見ていなかった四国の西岸部を見物に出かけた。 主に西伊予方面で一番南は宿毛市までであった。 最南端の足摺岬は若い頃に数回見に行った事がある。 その時には海に突き出た崖と付近のカツオ節の工場がなにか記憶に残っている。 突き出た岬の感じは北海道のえりも岬にも似ている。 また88ケ所の金剛福寺と亜熱帯の森も印象的であった。 あの時、車で走っていてなにやら暑くなり車も少ない山間部で湧水で手を洗っていたらバスが通りかかった。 そしておもむろにバスを止めて運転手さんがそこの水は上部に家があるので飲めませんよと言われた。 私は恐縮してどうもと言った事をいまでも鮮明に覚えている。 あの時ついでに水を飲んでいたかも知れない。 西中国山地では山の中腹にはほとんど家は無く谷の川沿いに集中している。 土質のせいか田畑の維持の為か私にはわからない。 そう言えば九州でも民家は山の上部にありおまけに道まで山の上に走っている。 これは地域性なのであろう。 尾道から西瀬戸自動車道(しまなみ海道)で今治に渡り、高速道を西条から松山、大洲を経由し南下した。 松山方面からは北に瀬戸内海が見渡せて平野も広々としていた。 やがて山間部に入ると急ではないが山々がせまり、中腹部分には民家や田畑が散在してあり風情がある。 大洲の西には八幡浜市がありその西北に突き出た長い岬が佐田岬で、私は広島や山口方面から瀬戸内海を挟んでいつもはるかに遠く見ていた。 また九州の国東半島も山口からは見える。 いつかこの佐田岬を旅してみたいと思っていたのだが今回はパスした。 大洲は山間の肱川(ひじかわ)沿いに発達した城下町でこじんまりしており、私が昔にNHKでおはなはんと言う朝ドラマを見ていたので記憶の底に残っていた。 中央部は古い町並みがあり白塗り壁の古城と肱川等がうまくマッチして良かった。 ここは市内を散歩するにも丁度良い距離感である。 こんな場所を見るとカラオケでの青春の城下町や私の城下町を思い起こさせる。 九州の大分県竹田市の岡城址も荒城の月や三橋美智也の古城を連想した経験がある。 あそこは城は無かったが、残っている高い石垣が見事であった。 おはなはんの明治の町並み 明石寺 大洲を抜けて西予市に入ると88ケ所の明石寺がありのんびりと見物。 まだ南下して宇和島市に入るとやがて内海が西に現れ、入りくんだその様はリアス式の海岸みたいで美しい。 明るい内海にはあちこちに魚養殖の筏がちらばって見える。 だからか、ここが温暖な地域だと言う実感が湧いてくる。 ドライブコースにも良さそう。 内海 どんどんと宇和海を西に眺めて南下していく。 変った植物はないかいなとばかり道路付近を見るが残念ながら発見も出来ない。 季節が秋でそんなに花も無い。 途中の海岸部の入り江には須ノ川公園が現れてなにやら植物がありそうなので散歩してみた。 少し亜熱帯系の植物が見られたが花の写真は取れず仕舞いであった。 まだドンドンと南下し愛南町につく。 ここが私の見たい目的地で宇和海に突き出た長い岬がありその先に外泊石垣の里があるのだ。 宇和海は昔、藤原純友が本拠地にしていた日振島があった海で西は豊後水道である。 次回に続く |
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