私の花図鑑          花の里日記  2019.3.19   391


          火曜日  (雨のち晴れ)  人間社会

 今日は朝から雨なので久しぶりに友人たちとカラオケに行った。
結構長く歌っていたが昼食を入れて料金は一人1,700円であった。
安価に過ごせるリクレーションではある。
歌ってる三人とも結構年齢が高いので、歌う曲は昭和の古い歌が多い。
なにか懐かしい気もするし、どれもスローなので歌いやすいのである。

 昨日と一昨日は吉和の山の別荘地に行って林の手入れをしていた。
枯れた木や曲がっていて細い木等を間引きして林の中を見通し良くしていた。
地面では常緑のアセビの木が多いのだが通路部分まで生えたものをこれも
間引きしていた。
まだ木の花はどれも咲いてなくてダンコウバイの黄色い蕾が見える位。
今は林の中にいても風はあまり吹かず気温も適当で作業してても気分が良い。
野鳥はあまり鳴いていなくてこれは残念。
あと少したてば彼らもやってくるだろうとこの春に期待である。
花の里では見事に天然色の多色の羽根に包まれた大きなキジの雄をみかけた。
繁殖期を迎えているのであろう。
この雪の多い里の寒い冬を彼らはうまく生きていたのだ。
花の里では早春の花がぼちぼち咲き始めていて少し落ち葉を取り除いていた。
あまりに落ち葉が多すぎて簡単にはいかない。
なかなか自然相手の作業は大変である。

 早春に周防大島やまた吉和の山にドライブしていて今年はヤシャブシの花を良く
見ていた。
荒れ地に生えるなんでもない雑木なのにそれでも咲いているとなにか美しい。
早春には道辺の野の花でもそれは小さな花なのにとても美しく感じる。
最近はテレビのニュースでよく子供のいじめによる自殺が報道されている。
これからあと少し育てばすぐに立派な若者になるであろうに残念。
自然界ではどんな小さな雑草でもそれなりに可愛い花を咲かせて生きている。
枯れてもそれは腐葉土となりまた肥料として他の植物を育てる。
この自然界に生まれたものはそうして輪廻を繰り返し変化し新しい環境を生み
出すのである。
無駄の無い世界である。
人も同じで勉強が出来ずとも運動がうまく出来なくても、誰でもがそれなりにその
人なりの素晴らしい特技を持っているのである。
たまたま仲間からイジメを受けていてもそんな事は気にせずに自分なりに好きな事を
しっかりとこれからすれば良いのである。
教育する側も単一的に子供を判断せずその子その子の多様性を生かすようにして
やればもっと立派な社会が出来上がると私は思うのだ。
まして親が子供をいじめるというのは、その親がまともな教育を受けていなかった
のだと私は思う。
知識を覚える事や計算に過剰に偏重した教育をして人としての情操教育をまるで
していなかった今までの教育方針に誤算があったのだろうと思う。
テストで良い点を取ることにだけに偏り過ぎたのだ。
人はお互いに助け合って生きなければならないのと同時に、強い人は弱い人を
助けなければならない。
60年代のフォークソングにくそくらえ節があったが、もうその時代から人の生き方を
暗示してくれていたのである。

 今年の春初めに瀬戸内海の島に行っていて風景を眺めていたら小さな海岸のそば
に小さなお寺があり、そこの露天に大仏が祭ってあつた。
そのお顔を見ると今まで見た大仏のお顔と大分違っていて人間らしいお顔であった。
私には初めて見る素晴らしい大仏さんのお顔であった。
この大仏さんは今の人間社会の何をご覧なのであろうか?




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