花の里日記 2014.12.6 244 土曜日 (晴れのち小雪) 山羊の話 今日は昨日に続き寒波が来ていて気温も零度に近く風が吹いて寒い。 外には出たくない日である。 南の窓の外には寂しい枯草の畠が見えるが、こちらの庭にカリンの木が4本生えておりそこに丸い柿の実を刺してある。 この実は民家を整備している時に持ち帰って冷蔵庫に入れていたものである。 それが熟れすぎて柔らかくなっていて食べにくい。 で野鳥用に枝に刺しているのだが、時折雀の集団が来て美味しそうに食べる。 雀たちは丸々としている。 またジョウビタキも来て食べている。 ジョウビタキは虫を食べるものと思っていたがそれを見てびっくり。 冷たい冬を生き延びるのは大変だなと思う。 民家の話だがどこも土地が広くて野菜や草が沢山生えており、牛や馬、山羊や羊や兎などを飼うと楽しそうだなとつい思う。 昔私の家は農業をしていて父は牛を納屋の一階で飼っていた。 牛は農繁期には田んぼへ耕作に駆り出されていたが、牛はのんびりしていてそんなに動くものでもない。 そのうち耕運機が導入されて牛は不要になり今度は山羊が飼われる事になった。 山羊は乳を出すので私も搾乳を手伝ったものであった。 山羊はわりに可愛くておとなしいがたまに頭で突かれた事もあった。 もちろん角は切ってあるがそれでも少し痛かった思い出がある。 山羊は野菜の残り物や草や米ぬかとか何でも食べる。 牛と違って扱いやすくて面白かった。 おまけに乳も慣れれば美味しい。 子供はこんな動物は大好きである。 最近民家の事で色々と世話になっている田舎の年配の人がいて昔の事など話す事がある。 二日前の事だが田舎の民家を見に行き、そのあとお茶でもと近くのティールームに入った。 丁度昼すぎで店の人はテーブルで食事中であったが二人を見て急いでカウンターに引っ込んだ。 まあ気にせず食事して下さいと私は言ったのだが。 そこでのんびりとコーヒーを飲んでいたが問わず語りに彼が若い頃に経験した山羊の話をしてくれた。 なんで山羊の話になるのかと言うと彼は馬が好きで少し前まで家の小さな牧場でポニー(小さな馬)を飼っていた。 そんな事での話なのだが。 彼が若い頃、家から大金を持ち出して競馬の馬を2頭買って馬主となったそうである。 その後も彼は競馬の旗手もしていたそうだが、買った馬が病気やまた競技の成績も悪くて、その2頭を売ると手元にはほんの少しのお金しか残っていなかった。 彼はそんな事で家に帰りづらく最後の手段でお父さんの知り合いの近くの島に住んでいる人を頼り、行ったそうである。 そこで数日滞在するうちに、たまたまそこで沢山山羊たちがいる事を知った。 ふと頭にひらめき彼は周りの山羊を手元に残った最後の金で約40頭ほど買い入れたそうな。 そこで周辺の舟を借りてその山羊を本土まで運んだ。 港ではその山羊たちがあちこち散らかって収集がつかずに悲鳴を上げたそうだ。 それでもなんとかバタンコ(当時は三輪車のマツダのトラック)を借りて、彼らを乗せて山中の田舎の馬喰(ばくろうと読み主に牛馬の売り買いをする人)さんを頼って海辺から山の田舎へと行った。 数日するうちその山羊たちは地元の人の人気商品となり飛ぶように売れてしまった。 彼の手元には5倍以上のお金が入ったそうな。 捨てる神がいれば救う神もいると言う話。 人間失敗を転じて福となすように希望を捨てない事。 どんな小さな事でも良い。 希望を見つけて明るく生きる事を教えて呉れるこの話ではあった。 もう一つ。 田舎では山師と言う言葉がある。 主に山林を売買したり仲買をしたりする人の事を言うが、こちらでは海外の牛肉等の安値に押されて日本の牛馬が売れなくなった時代があった。 馬喰さんはそのような事で山の売買や木の売買に職業替えをせざるを得なくなった。 その山の売買や木の売買も木材の安値に押されて今では彼等が影を消す事となっている。 まあ彼等が年を重ねた事もあるのだが。 今は牛馬の価格も高くなってなんとか生産者も安堵の状況。 木材もこれから価格が安定して林業がまともに成り立つ時代が来て欲しいと思うこの頃である。 日記前のページへ 日記次のページへ 日記の最初の目次ページへ 花図鑑ホーム |
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