私の花図鑑    花の里日記   2002.3.17  №26
           日曜日 桜の開花便りがちらほら (果樹について)


   果樹について話したいと思う。
私はほとんど果樹について縁が薄い。果物好きと回りに言われるが食べるばかりで果樹の実りには縁が無いのである
。庭に色々果樹を植えては見たが食べられるのは枇杷と栗とキゥイくらいである。ほっておいても実るものばかりだ。柿、木苺、すもも、ブルーベリー、山桃、白桃、みかん、いちじく、さくらんぼ、なし、ぶどう等植えてはみたが駄目。肥料を余りやらないし、消毒をしないときているので鳥の餌ぐらいしか出来ない。

 昔、誠文堂新光社からガーデンライフと言う月刊誌が出ていた。(園芸関係はほとんどこの会社しか出版していなかった)この雑誌に庭の寓話と言う翻訳文が掲載されていたがこの中に果樹の話がでていて当時は非常に興味を引いた。内容は果樹を垣根に小さく仕立てて植え、美しい花を観賞しながら美味しい実も食べたいと言った話であったが、この事は実際夢のような話でぜひ実現してみたいと思っていた。果樹を植えてみると夢と現実の相違は大きくて浪費するばかりであった。
 また植えてみても実が出来るまでは長い時間がかかり何を植えていたか判らなくなり、山桃の木なんかはメスの木を切り倒してしまい、オスの木が残って数年後ようやく花が咲いて判る始末であった。だからいまだに山桃の実は一つもならない。

 この山桃の木については思い入れがある。母の実家が和歌山にあり夏休みなど、良く母に連れられて出かけたものだった。母の実家は海岸のそばにあり海鳴りが聞こえてくる田舎の家であった。この家には1歳上の元気ないとこが住んでおり、もやしの都会ッ子の私は良くからかわれたものだった。彼は自然好きな田舎の子であった。しかしその元気ないとこも昨年ガンであの世へと旅立ってしまい、彼は記憶の中の人となってしまった。いつも和歌山から帰りの汽車では山桃の赤い実が木のイチゴ箱に詰められて売られており買ってもらって食べるのが習慣であった。甘いその実から果汁があふれて白いシャツを赤く染めたものだった。この木は海岸地方の暖地にしか自生せず、こちらでは宮島や山口県の海岸に生えている。北国の方にはなんの木だろうかぐらいのものであろうが私にとっては思い出の自然の果樹である。
  

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