私の花図鑑    花の里日記   2003.4.17 37
           木曜日  戦争・・自然・・水仙とピートシーガー

 遅い山の春が訪れて久しぶりに吉和の山に行った。
明るい落葉樹の森に梅恵草の青い芽が伸び出していた。
またなんでもない雑草の寒菅がそこに美しい花を咲かせていた。
なんで今まで気づかなかったのだろう。
幸せの青い鳥は身近な足元にあったのだ。
まだ見ぬ異国に思いを馳せるのは見果てぬ夢であったのか?
南の熱帯からは、もう黒ツグミが来て春の歌を梢で歌っている。
人間の欲望には果てしがない。
すべての生物は今の短い時をせいいっぱい生きている。

 今吉和の路傍を飾っている水仙の花と言えば、昔ピート シーガー(なんと懐かしい名前だ。フォークソングの神様と呼ばれていた。バンジョーを弾きながら世界を公演して回り、平和の歌を歌っていた。)を含むザ・ウィバァースが歌った七つの水仙(seven daffodils)を思い出す。
ブラザーズ フォーも歌っていた。
この時代のアメリカは夢があった。

 '私は広い土地も邸宅も幸運も持ってはいない。
素敵な物も買ってあげられないけど、朝日に輝く緑のこの広い原野を貴方に見せられる。
七つの金色の水仙もあげるよ'と歌われる。

 最近NHKのTVでピート シーガーの事を放映していた。
高齢なのにまだ現役で自作の花はどこへ行ったの?の歌を歌っていた。
この歌は一周すると最初に戻る。
仏教の輪廻の法を思わすのだ。
 
 彼の日系二世のトシ夫人も元気そうであった。
ピート シーガーを見ていると、戦後の日本の民主化と再興に力を注いだアメリカのライシャワー元日本大使を連想する。
元大使は亡くなられたが婦人は日本人でハルさんと記憶している。
今の日本があるのは彼らのおかげである。
この歌は私の花図鑑の原点かもしれない。
この花はどこへ行ったの?の連想の元は、ロシアの作家シェーロホフの静かなドンにあると本人が言っていた。
ドンとはドン川のことでロシア兵の事をドンコサックという。戦争に翻弄されるロシア兵の事を書いた長編小説であった。
私も若いころ原卓也さんの翻訳の本を買って読んだ事があった。

 アメリカでも大戦後、赤狩りがありピート シーガーもフォークソングが歌えなくなった時期があった。
そのとき遠回しに平和を歌ったこの曲がヒットした。
現代もアメリカが同様な状況下にある。
人間はいったい戦争でなにを学んで来たのか問い返す歌ではある。
この歌が歌われなくなった日こそ世界に真の平和が訪れるだろう。

 


日記前のページへ 日記次のページへ 日記の最初の目次ページへ   花図鑑ホーム