私の花図鑑     花の里日記   2001.10.9  bQ2
                 火曜日 ( 蓑虫 、啄木鳥、百舌、ジョウビタキ)


   こちらの山では秋をむかえ、柴栗や木の実も色とりどりに熟れてにぎやかとなった。ぬるでやもみじや山桜も紅葉を始めている。草原の中で虫たちが秋のメロディを奏でている。おだやかな陽の下では明快な色をした蝶々たちが森の中を飛び回る。秋は瑠璃立羽蝶や赤立羽等だ。今年広葉樹の森では栗がたくさんなった。すると熊たちが里まで食料を探しに来なくなる。今年は里では熊を目撃しなくなった。このような広葉樹の森を大事にすると日本の植生がもっと豊かになると思う。人間もこの森に入ると心穏やかになる。自然のリズムに包まれる感じだ。森で休んでいると啄木鳥(キツツキ)のドラミングが聞こえてくる。こちらもこの音をまねてだすとこの音を確認にやってくる。すぐ上(15メートルくらい)の小楢の木の幹に止り隠れながらこちらをうかがっている。またこちらが音をだすと安心したのか、そのあたりの木をドラミングして幹づたいにやがて姿を消していった。

 今アフガン、イスラエルでの戦争は砂漠とまた森の少ない山岳地帯で起きている。水や森がなくなると飢餓(食料だけでなく精神も)が始まる。弱者を強者がやさしく保護しないと皆が生きてゆけなくなる。テロだけに目を奪われていると本質が見えなくなる。オアシスという言葉はそういった土地で生まれているのだから、このオアシス(精神問題も含む)という緑の森作りが救いとなるキィワードだ。力の論理で解決できるものではない。

 秋風が吹くころになると色々な虫が鳴くけれど、昨夜我家でチョ・チョ又はチィ・チィと鳴く声が部屋の隅から聞こえてくる。外に出てみるけど外で鳴いているのでは無い。それも時折でずっと鳴いているのでは無い。この虫の声を聞いて枕草子に蓑虫(みのむし)の話が出ているのを思い出した。冷たい秋風が吹くと蓑虫の父親は、鬼に生ませた吾が子にボロを着せて、すぐ帰ってくるから待っている様にと言ったがいつまでも待っていても帰ってこない。寂しくなった子供はチチヨ・チチヨと泣いて親を呼んでいるといった悲しい話だ。チチヨ・チチヨとは聞こえないがチョ・チョと聞こえるのでこの声かもしれないと思った。虫の正体はわからないけど多分
ヤモリではないかと思う。旧家の時代から移り住んでおり窓を開けるとサッシュのすきまから時折落ちてくる。バリ島ではコテージでトッケー、トッケーと深夜に鳴いていた。(秋の虫で鐘タタキが鳴いていると言う話もある)
 もちろん蓑虫が鳴くはずも無い。この蓑虫は冬の風物詩だが今では天敵にやられて姿を消してしまった。庭木の葉を食べるので嫌いではあったが、いなくなるとそれでも寂しくなった気持ちもある。

 
追記 蓑虫は子供のころから成虫の蛾を見たことがないので、不思議に思っていた。どうして交尾したりあちこちに繁殖するのかと。昆虫の本を見ていて気付いた。オスが蛾になって夜に飛び回る。メスは飛べないで一生蓑の中で暮すらしい。うすば冬尺も同じ生態をしている。

 冬が来て寒くなる(12月ごろ)と薪にするため丸木を割ると中から鉄砲虫(かみきり虫の幼虫)がでるので、食べ物が少ない百舌(もず)に餌で与えていた。百舌は庭で作業をしていると餌をねだりにやってくる。また虫が少ないと木の枝にたくさんいた、この蓑虫をとり袋から出してもずの餌として食べさせた事があった。また同じようにジョウビタキ(こちらでは紋付と呼んでいる)も傍に来て餌を食べる。ジョウビタキに鉄砲虫は大きいようで飲み込む時には目を白黒させている。

 蓑虫の写真  

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