私の花図鑑          花の里日記  2015.12.27   278


           日曜日  (晴れ)   冬の梅、開花

 今日は昨日より少し暖かい。
昨日も山の別荘地の手入れをしていた。
今日は行く途中で一件仕事の打ち合わせを済ませてそれから山に向かった。
山の雪は全然見えなくて灰褐色の落葉樹林や杉や檜や赤松の緑が見える。
中には樫の木の光った緑の葉も見える。
アスファルトの道は朝の霜か何かでそれが融けて黒く濡れている。
落ち葉は道の両側に落ちて積っている。
のんびり走って行くと枯れ木に絡まった牡丹蔓の白い実の集団があちこちに見える。
山の中の民家傍の畠にある梅の木がもう白い花を半ば咲かせている。
12月に咲くのは生まれて初めて見るような気がする。
前回の日記の周防大島行きで日本水仙(房咲き水仙)の白い花の集団開花を見ていた。
今年の暖冬はエルニーニョ現象だと言うが、温室効果ガス(二酸化炭素)の削減にアメリカや中国がまったく取り組んでこなかったのも原因かなと思う。
ようやく国際的には合意が出来たようだが遅すぎだと思う。
アメリカは銃規制がいまだに出来ないし、人種差別もあるし極端な資本主義で貧富の差も激しい。
一方の中国も共産国家と言う割に貧富の差が激しいし、都会ではPM2.5で空気が汚染され日本までそれが流れて来る。
世界でGNPが一番と二番の国と言うがまったく情けない事ではある。
日本は政策をもっと良く考えて世界に誇れる国にしたいものである。
今の正社員と比べて派遣社員やパート労働者が極端に多すぎる弊害(中産階級の減少)を無くさなくていけない。
また国の行政経費の無駄を無くして多額な国民赤字から抜け出さなくてはならない。
行政改革はいったいどこへ?
また横道にそれてしまった。

 山の別荘地の東南は冬の西風が吹かないので割に寒くない。
野草園には行かずに暖かい場所を選び、まず焚火から始める。
これがなかなか難儀な作業で30分位は乾いた枯れ木の小枝を集めて燃やし、良く燃えた所で大き目の枯れ枝を追加する。
きりが無い作業で疲れる。
火は燃えれば次の枯れ枝を要求する。
まるで私は火の神の召使いになったようで煙に巻かれてばたばたと動く。
枯れ枝もたまにはノイバラのトゲが手に立つ事もあるし、また大き目の長い枝を折る時には力がいる。
折れなければ足で思い切り蹴り腕力で折る。
折れた枝が体を打つ事もある。
そう言えば前回の周防大島でメダケを切っていて3m位ある先端がいっぱい蔓に絡んで引っ張ってもなかなか取れない。
やむを得ず思い切り両手で引っ張るとはずみで先端がぷっつりと切れてそのメダケの切った根元が腿に思い切り直撃。
ズボンは破れて切り傷と打撲で痛いの痛くないの(表現がおかしいかな)眼が飛び出る思いであった。
この切ったメダケの逆襲をまともに受けてしまった。
なぜかと言うと私はこのメダケを絶やそうとして今まで2回も完全に切っていったのだ。
しかし3年ほっておくと元の木阿弥。
原因は私に根気が無い為なのであるが・・・
時々山でチェンソーで木を切っていて、はずみで切れ端が足などを打つ事がある。
まだ私の切る木は小さめなのでまだ良いのだが大木となると注意が肝要ではある。
地面に散らばった枯れ枝を集めて枯草や落ち葉をかき集め燃やす。
まあ楽しい事はこの火の熱で、やかんを利用し湯を沸かしてインスタントのカフェオーレを飲む事であろう。
焼き芋は少し面倒なのでパス。
ようやく手が空くと高枝切りのノコギリで目に障る木の枝を切るが結構径が大きいとこれも難儀。
切っていると刃の音がして、それはまるでファイト、ファイトと私に言っているようである。
その応援があっても体力が無くなると中休みしてまた挑戦。
3回位くりかえしてようやく切れる。
木の枝も数十年経過して硬くなっているのであろう。
また地面石が転がっているのを集めて重ねて置いてあるのを見ると、それはまるで私の墓がそこにあるようで、緑の苔までついている。
ここも手をいれてから20年位になるであろうか。
大きな木を切る時には時の経過をつい思ってしまう。
手を入れて木を守って来て現在は野鳥(小鳥)が沢山いるし猪まで顔を見せる。
山鳥やカラス、鷹、カケス、山鳩類で賑やか。
時期になれば色々な花が見事に咲く。
四季折々に楽しませて呉れる豊かな自然の山ではある。
山小屋を建てたいのだがまだ。


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