私の花図鑑          花の里日記  2015.5.3   254

            日曜日  (雨)     連休に雨

 今日は朝食を済ませた頃からポツポツと雨が降り始めた。
でも仕事の打ち合わせで近くの里山方面に出かけた。
その仕事は別荘地内の傾斜地を平らに整地する計画であるが、現地を見て呉れた人から良いアドバイスを貰った。
彼はもう仕事からリタイアする年齢の人であるが、まだ仕事を楽しめながら続けている感じの人である。
彼の説明によれば現在の斜面は波を打っているが自然のままで笹などが地面を覆っており土砂の流出を防いでいる。
だから整地には地形を生かしながら、うまく雨などを流して砂の流出を防ぐ工事をしなくてはいけないと言っていた。
彼は田舎に住んでおり豊富な経験で自然と土砂の性質を読み取るのだろう。
たしかに周りを見ると急な斜面で道は急こう配。
車がその道を重力で自然に落下しそうな感じだ。
中には斜面が昔のままの落葉樹林がありそこは安定した緑を保っている。
私の管理している山の別荘地の林もそうだ。
人の手が入り山の斜面を切って土の表面が現れると、大雨でこの水を土砂が含んで重くなる。
一定以上水の重量が増すと自然崩壊に至る。
だてに草木が生えているのではないのだ。

 昨日は薄曇りだったが山の別荘地で道の草刈りをしていた。
ふと林の中の地面を見ると茶色の落ち葉の中から筆竜胆の青紫の花が散らばって一面に咲いていた。
いままで筆竜胆は良くて3本位が部分的に咲いている感じでなかなかこんな事はなかった。
林の中の間伐をして地面にある程度光が当たるようにしたのが良かったのであろう。
それも10年以上前から始めた事ではあるので成果が上がったのかなと嬉しかった。
写真を写そうと思っていたが、つい遅くなり4時過ぎであろうか行ってみるともう花は閉じていた。
一輪草も同じで夕方には花を閉じるのだ。
野草園では鳥足升麻やら晒菜升麻が沢山増えて賑やかになっている。
やはり野草は適当な日照が必要ではある。
でも樹木も適当に必要で、その花や実や虫で野鳥を呼び寄せ根で土砂の流出を防いでくれる。
やはりこれも自然界のバランスの上になりたつ事である。

 下の画像は今野草園で満開の猿面海老根  猿面海老根を見る    こちらは大岩鏡のピンクの花
 

 最近は山で小鳥が賑やかに色々と変わり鳴いている。
渡りもあるので鳴く鳥も変化する事が多い。
今はミソサザイがミソネッチョウと鳴いたり、チョキン チョキンと郵便局の人が預金を進めているような
鳴き方をするのもいる。
名前はわからないけど。
昔私が小学生の頃、父といつも一緒に近くの山に行き父は山の手入れ、私は自由に自然と遊んでいた。
私も今はその父の年齢となり山が好きだった亡き父を思い出していた。
また鶯はホーホケキョーと啼いているのだが私がそれを山で聞くと、それは文彦よ…文彦よ…とまるで
母が私を呼んでいるような気がしたのだ。
ホトトギスの鳴く声を聞いて、その鳥を呼子鳥と昔の詩人が名づけたと言う事もある
それは
聞きなしと言って鳥の声を聞いている人の感じ方により色々変化するものであるのだそうだ。
こんな事を感じるのも年のせいかな。
最近私の好きな歌でウェイファーリング ストレンジャー(彷徨える人)があるが
  私は貧しい彷徨(さまよ)える人。
  苦難に満ちたこの世界中を旅して、
  ヨルダンを越え、家も捨てて
  ようやく今明るく光る世界が見えた。
  そこには父が待っていて、もう彷徨わなくていいよ。
  母はよく帰ったね。
  お帰りと言って呉れる。
  救いの神は美しい歌を歌って呉れた。
  お代はと言うと神は永遠がそうだよと言う。

アメリカの宗教的な曲だがいつかうまく訳詞をしてみようかと思った。

 今夜は暇なので昔のレーザーの”
12モンキーズ”の動画を見直していたが最近のSF映画と違って作りが素晴らしい。
内容もユニークで最近のSFでの、どこかで以前このシーンは見たようなという事はまるでない。
出演はブルース ウィルスとブラツド ピットで見事に渡り合っている。
内容は科学の進歩により悪性なウイルスが出来て人の悪意により世界中に撒かれて、人類は絶滅しそうになり、
わずか生き残って地下に隠れた人たちが、ブルース ウィルスを過去の世界に行かせてその元を探る話だ。
今のSF映画はその技術が素晴らしく進歩したけど、構成が悪いのか監督が悪いのかパッとしなくて
映画館もまるで空いている。
残念な現況ではある。

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