私の花図鑑   花の里日記
   2005.8.4   67

                 木曜日   家々の明り

 仕事(半分は遊びもあるが)を終わり、夜の8時ごろ山の別荘地から事務所に帰って行く。
その時間には気温が20〜23度くらいに下がっているので車のウインドを開けて走る。
森の空気やら花の香りやらがして心地よい。
その時間にはなぜか走っている車は少ない。
1人のんびりと暗い山道の中を車で走る。
帰り道ぞいには里の家々の明かりが時折ポッとともっているのが見える。
食事など家族団らんの最中であろう。
しかし中にはまったく明りが無く真っ暗な家がある。
そんな家は雑草が生えていたり、雨戸が閉められて古い車が打ち捨てられている。
ああ!この家は老人は死に絶えて、子供たち家族は都会に移り住んでしまったのだろう。
家はやがて腐って行き、この家の思いでも家族の記憶も時間の経過と同じに消え去っていくのだろうなと思ったりする。

 昔私が子供のころ、転居で田舎の実家に帰る事となった事があった。
都会の家は売られて、実家に帰る途中である。
可哀想なので私が父親に言ってメスネコを箱に入れて夜汽車に乗り帰っていた。
このネコは私が拾って育てた体の模様の汚いノラネコだった。
時折、鳴き声を下に置いた箱からさせる。
当時は蒸気機関車で窓を開けると黒いススが入ってくる。
レールの継ぎ目がゴトンゴトンと単調な響きを出している。
チンチンと警報機が鳴って飛び去り時折ボーと汽笛が鳴る
各駅停車だが夜には人が乗り込んでこない。
窓から外を見やると田んぼ越しの家々に明りがともり、団欒の最中であろうと思われる。
その家その家でそれぞれの生活があり、狭いその生活圏のその一軒の家に、一生住み続けて人間は生きているのだろうなと思ったりした。
その時には住み慣れた古い家を離れていく不安もあったのだろう。
子供ごころになんとも言えない不安を覚えたものであった。

変化の激しいこの時代ではあるけど、出来れば家族が何事もなく住み替えなどしないで、長い世代に渡り生き続けていける、そんな経済の安定しており、税金が少なくて、戦争の無い平和な時代が来て欲しいと思うこのごろである。
戦後を経験した私にはあのような時代は厭だなと思う。
明日は原爆が投下されてまる60年もたつ日である。
そんな時ふとこう考えたのだった。



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